平田オリザ PROFILE

平田オリザ

劇作家・演出家
大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授、首都大学東京客員教授、三省堂小学校国語教科書編集委員

演劇はもとより教育、言語、文芸などあらゆる分野の批評、随筆などを各誌に執筆。近年は、公演やワークショップを通じて、フランスをはじめ韓国、オーストラリア、アメリカ、カナダ、アイルランド、マレーシア、タイ、インドネシア、中国など海外との交流も深まっている。また、2002年度から採用された国語教科書に掲載されている平田氏のワークショップ方法論により、年間で30万人以上の子供たちが、教室で演劇をつくるようになっている。ほかにも障害者とのワークショップ、地元の駒場ほか、各自治体やNPOと連携した総合的な演劇教育プログラムの開発など、多角的な演劇教育活動を展開している。

鈴木あきら PROFILE

鈴木あきら

株式会社オフィス・サンタ
代表取締役社長
コミュニケーション・デザイナー
CDA(厚生労働省指定キャリア・コンサルタント能力評価試験合格)

1975年に演劇センター附属青山杉作記念俳優養成所を卒業後、劇団を結成。以後、座長として16本の作品を作/演出/出演で上演。「小劇場演劇第三の潮流出現」と高い評価を得る。
1986年に劇団解散後、フリーランスのライター、編集者を経て1988年に株式会社文化放送ブレーンに入社。
文化放送ブレーンでは就職情報誌の企画・編集のほか、12万人の学生を相手にメールマガジンで就職コンサルティングを行う。
1998年に独立し、株式会社オフィス・サンタを設立。
現在は、過去の経験と実績を活かし、劇作家の平田オリザ氏とオリジナルの教育研修用ワークショップ開発に取り組んでいる。

OFFICE Santa 対談

平田オリザ×鈴木あきら 演劇に学ぶダイバーシティ・マネジメント〜グローバル時代のコミュニケーション〜

コミュニケーションのOSが変わった

鈴木(以下鈴):この頃、企業の人事担当者の間で「最近の学生と話が通じない」とか「彼らには一般常識が通じない」というような声が大きくなっています。具体的に言うと、新人研修の初日から遅刻してくる新人がいたり、その遅刻を叱責するといきなり泣き出してしまったり、過換気症候群を起こして倒れてしまったり、翌日から出社しなくなってしまったり、ひどい子供になるとリストカットにまで至るような事例が報告されています。こういう事例が頻発すると、企業の教育・研修担当者はほとんど絶句せざるを得ないんですね。コミュニケーションの端緒さえつかめない。

平田(以下平):それは若者が悪いんじゃなくて、企業の上の世代が悪いんですよ。時代の変化についていけてないってことです。この間、岩波書店から出ている『図書』という小冊子で作家の高橋源一郎さんと長い対談をしたんですけど、そのときに高橋さんは岡田利規君前田司郎君の小説を絶賛して、小説のOSが変わったと言うんですね。これまでも10年周期ぐらいの短いスパンでの流行はあったけれども、岡田君や前田君によるOSの変化は100年周期ぐらいの大きな変化なんじゃないかと。僕もそれはまさにコミュニケーションのOSが変わったと言ってもいいくらいの出来事だと思うんです。それはWindowsがバージョンアップするような変化ではなくて、WindowsがLinuxに変わったくらいの大きなOSの変化であると言ってもいい。

:OSの変化というのは、まさに現在のコミュニケーションのあり方を正鵠に言い当てていると思います。少し話が長くなりますが、私がここしばらくの間考えているコミュニケーションの変化について話させてください。
私たちの世代、つまり団塊の世代から少し後の世代までは、コミュニケーションの基盤を「活字文化」においていました。私たちは書籍と教養に最大の価値をおく世代なんですね。それはいつ始まったかというと、グーテンベルクが印刷機を発明した15世紀です。それまでは、すべての人間は話し言葉によってコミュニケーションを成立させていた。しかし、グーテンベルクの印刷機が登場してからは「書き言葉」によるコミュニケーションが始まった。これは人間のコミュニケーションのあり方、さらに言えば人間の考え方や存在そのものまでを根本的に変えてしまった。フランスの歴史家であるフィリップ・アリエスはその著書『〈子供〉の誕生』で次のように述べています。
印刷機が発明されるまでの中世ヨーロッパに「子供」は存在しなかった。人間は乳児から幼児になり、6~7歳になって言葉を覚え大人と会話による意思疎通ができるようになると「小さな大人」、あるいは「劣った大人」として労働の現場にかり出された。彼らは「劣って」はいるけれどもすでに「大人」であるために、労働現場では大人と対等に煙草も吸えば酒も飲む。もちろん、子供服などというものがあるわけでもなく、使っている言葉も大人と同じだった。ところが、印刷機が発明され、人々の間に書き言葉が浸透するようになると、そのままでは立ちゆかなくなってしまった。話し言葉は特別な訓練を受けなくても自然に身につきますが、書き言葉を理解するためには特別な訓練が必要だからです。その訓練をするために「教育」が発明され、「教育期間」にある人間を「子供」として大人と幼児の間に位置づけた。これが教育と子供の誕生である、というわけです。一つの新しいメディアの誕生が、人間の存在そのものを変えてしまったわけですね。
それに対してアメリカのメディア学者であるニール・ポストマンは『子どもはもういない』という著書で「子どもの消滅」を説いています。
ポストマンによると、グーテンベルクの印刷機が登場して以来続いてきた「教育」と「子供」は、1840年にモールスの電信機の登場によって消滅へと向かったのだと言います。電信機に続く写真印刷やテレビの登場によって、グーテンベルク以来の「教育」や「子供」のあり方が大きく変わった。写真印刷がない時代は、一人の政治家を選ぶためには彼の政見が書かれた文章を読むしかなかった。ところが、写真印刷が登場したことによって、人々は「顔つきの好き嫌い」によって政治家を選択することができるようになった。それをさらに加速させたのが1953(昭和28)年に放送が始まったテレビというメディアです。テレビという直感的で即時的、感情的なメディアに接するために特別な訓練はいりません。まったく書き言葉を理解できなくても、テレビから情報を得ることはできます。つまり、生きていく上で必要な最低限の情報を得るための特別訓練=教育が必要ではなくなったということです。それによって大人の世界から「教育」という世界に隔離されていた「子供」という存在が消滅してしまった、というのがポストマンの説くところです。

:そうですね。特に日本の場合にはどう見ても世界最先端の高度消費社会なので、子供がなくなったのか、全員が子供になったのか、わからない社会になってしまいましたね。よく言われることですけれども、物を買うという行為が子供でも簡単にできるようになってしまって、コンビニにお金さえ持っていけば、まったくコミュニケーション能力なしに物が買えるようになった。これは非常に大きいでしょうね。駄菓子屋だったら値引きがあったり、10回に1回まけてもらったり、コミュニケーション能力のある子が絶対に得するようなシステムなんですけどね。普通、商業というのは本来コミュニケーションと密接につながっていて、コミュニケーション能力のあるやつが得するから一生懸命みんな大人になろうとしたはずなんだけれども、そういう必要がまったくなくなってしまった。それからインターネット。そのことによって大人になる必要がなくなってしまったということですね。だから果たして子供がいなくなったのか、大人がいなくなったのか、よくわからない。

:それは難しいところですね(笑い)。

:今、「大人」は非常に辛いというか、難しい立場に立たされている。特に企業の管理職の人たちはそうですね。負わされている責任が非常に大きい。

:そうですね。今の管理職の人たちは本当に大変だと思います。

:先ほど新人研修が成り立たないというようなお話がありましたが、幸いにも僕はほとんどそういう経験をしたことがないんですよ。僕は前任校で演劇科の学生を教えていたんですけど、ほかの学科の授業を覗いてみると非常に私語が多いんですね。時には先生の声がうまく聞き取れないほどなんです。だけど、僕の授業では私語は一切ありません。それは僕が最初に「なぜ授業中に私語をしてはいけないのか」ということをキチンと説明しているからです。

:なるほど。

:ここで授業を受けている人たちは、将来演劇の現場に出て行く人たちだ。演劇の現場で、演出家が話しているときに私語をするということはあり得ない。そういう人がいれば、その人には二度と仕事は回ってこないだろう。それと、ここの学校には業界トップの俳優や演出家が頻繁に訪れる。その人たちの目にとまってデビューの機会をもらえる人もいるだろう。そのときに、他の人たちが私語をするということは、その人の大切な機会を奪ってしまうことになりかねない。だから、少なくとも演劇科において授業中の私語は絶対にダメなんだ。そういうことを最初にキチンと説明します。すると、その後4年間、私語は一切なくなります。

:なぜいけないのかを冒頭にキチンと説明する、ということが大事なんですね。

:そうです。今の学生たちにしたって、そういうことを理解する能力がないわけじゃないんですよ。なぜそれをしちゃいけないのかをキチンと説明すればわかるんです。ところが、企業の管理職の人たちは、なぜそれがダメなのかということを理路整然と説明することができない。それは彼らがそういう教育を受けていないからなんですね。ダメなものは理屈なしにダメなんだ。彼ら自身がそういう風に先輩から受け継いでいますから、下の者に向かってキチンと説明できないんです。

:う〜ん、確かにそれはそうなんですけど、新人研修でいきなり手を挙げて、「どうして遅刻しちゃいけないんですか?」という質問を発する若者に絶句してしまう研修担当者の気持ちもわからないではない(笑い)。

:今の若者たちに初めにキチンと教えなければならないことは三つあります。一つは「いま君がやっている仕事は会社にどのように利益をもたらすのか」ということ。これはごく当たり前の話ですね。二つ目は「いま君がやっている仕事は、君自身にとってどれほどやりがいのある仕事であるのか」ということ。ということは、彼らにやりがいのある仕事を与えてやらなければならないということですね。そして三つ目は「いま君がやっている仕事は、社会に対してどういう影響を与えるか」ということ。彼らは反社会的な行為に対して非常に嫌悪感を持つので、それをキチンと説明してあげなきゃいけない。この三つをキチンと教えることができれば、今の学生はとても優秀な能力を発揮します。この三つを同時に、短時間で教えることができなきゃいけないわけだから、管理職は大変なんです。ところが、そんな能力を持った管理職なんて企業には存在しないから、若者たちは上司の命令を聞かなくなる。

:それは企業の管理職の人たちの指示や命令が、「そんなこと言わなくてもわかるだろう」という発想に基づいているからだろうと思います。でも、今の若者たちに「言わなくてもわかるだろう」という言い方は通用しない。なぜなら、さっき平田さんが仰ったように、管理職世代と若者たちではコミュニケーションを支えるOSが違うからです。そこでは自分たちの指示言語や命令言語をいったん若者たちのOS用にコンバートするという作業が必要になります。

:私たちの頃までは応用自在なコミュニケーション能力なんてものは必要なかったんです。会社が個人を守ってくれたし、社宅から社内運動会から、とにかく上司の命令を聞いていればみんな幸せになれた。ところが、今はそんな時代じゃない。今、一部上場企業の新入社員にアンケートをとると、だいたい6割から7割が出世を第一には考えないっていうんです。もう出世を第一に考えないってことは、上司であるからといって部下が無条件に上司の命令を聞くということはあり得ない。そういう時代の変化に気づかずに、今の管理職の人たちは自分の命令が伝わらないことに怒り、戸惑っている。

:私が企業の人事担当者の方に対するセミナーでよくお話しするのは、外国人留学生のたとえ話です。あるときに自分のマンションに、新入社員が土足のまま上がり込んできたら、皆さんはきっと烈火のように怒るでしょう。でも、それが外国人留学生だったらどうでしょう。皆さんは、少々慌てふためきながらも、その留学生に対して「日本の家に入るときには、靴は脱がなきゃいけないんだ。それが日本の習慣なんだ」とキチンと説明しませんか? もしかしたら、「日本の家屋には敷居の神様というのがいて……」というような文化論や宗教的慣習まで持ち出して説明するかもしれない。それと同じことを今の若者たちにもしなきゃいけないんだ、と。

:そうですね。考え方や文化、習慣が違う人たちとのコミュニケーションというのは、なにも海外に出かけていったときに必要になるだけではない。今は国内にもたくさんの外国の人たちが働いていますし、同じ日本人でも世代が違えば価値観も違う。そこでどのようにコミュニケーションを成立させていくのか。それが問われているんです。

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