OFFICE Santa 対談

平田オリザ×鈴木あきら 演劇に学ぶダイバーシティ・マネジメント〜グローバル時代のコミュニケーション〜

演劇ワークショップの可能性

:そういった、まさにグローバル時代のコミュニケーションスキルを磨いていく訓練として、演劇ワークショップは非常に有効だと思うんですけど、実際の演劇ワークショップの話に入る前に、私の個人的体験を話させてください。
今から、もう十数年前になると思うんですけど、あるときにまったく無名の若手劇団の試演会のようなものを観る機会があったんです。で、その演劇はまったくダラダラと、極めて日常的な会話で進行していくんですね。私たちの世代が体験してきたような「劇的緊張感」なんてものはカケラもないわけです。たとえば、女の子同士が、

「ねぇ、このケーキ、美味しくない?」
「え~? これ、美味しい?」
「っていうか、ていうか、美味しいってわけじゃないんだけど、ちょっと甘くていいかなぁって……」
「え~、これ、甘い~?」
「っていうか、ていうか、そんなに甘いってわけでもないんだけど、なんかいいかなって……」
「いい? これがぁ? 」
「っていうか、ていうか、そんなにいいってわけじゃなくて~、普通かなって……」
「普通じゃ~ん」
「普通だよね~」
「普通だよぉ」
「そうだよね~、チョー普通~」

って進んでいく(笑い)。
最初は、「なんなんだ、これは?」って呆れながら観てたんですけど、観ているうちにだんだんと、何か切なくなってきたんですね。「今の若い子たちは、こんなに必死でコミュニケーションを取ろうとしてるんだ! こんなに切ないんだ!」って、最後にはもうほとんど涙が出てきそうになってしまった。

:よくわかります。

:そのときから私は、今の若い子たちのコミュニケーションのスタイルが、私たちの世代とは決定的に違ったものになってきているという思いに囚われて、そのコミュニケーションの変化の意味を探り続けてきたわけです。私はこのような演劇の見方を勝手に「演劇社会学」と呼んでいるんですが、演劇を観ることで確実に見えてくる社会、世界がある。演劇って凄い装置だなぁとつくづく感じています。

:今のお話は象徴的ですね。確かに、演劇には常に時代のコミュニケーションのプロトタイプというか、そういうものを示す力があるんです。ですから、せめて若い人たちと付き合わなければならない人事担当者には若い人の演劇を観てほしい。少なくとも先ほどお話しした岡田君や前田君の小説ぐらいは読んでほしいと思います。あそこには、今の日本の若い人たちの話し言葉のエッセンスが詰まっていますし、今お話しになったような新しいコミュニケーションの形というものが非常に明確に出ています。それを一回習得するだけでも、ずいぶん大人の気持ちが楽になると思うんですよ。一読するとまったく論理がないように見えてしまうんだけど、そこには確かに新しい論理構造がある。

:演劇によって露わに見えてくるものは凄い。本当に予測もしないものが飛び出してきます。私も前回の対談のときに平田さんに教えていただいた演劇ワークショップ選考というのを実際にやり始めているんですが、そこで見えてくるものは本当に凄い。私の会社で実際に採り入れてやってみたのは中途採用の試験なんですが、そこではこんなことをやってみました。応募者を7~8人のグループに分けて課題を与えるんです。そのときの課題は「職場に嫌な奴(困った奴)が入ってきたために職場の雰囲気が悪くなって困っている。その対策を話し合い、結論を出すまでを演劇にしなさい」というものです。これにはいくつか条件がありまして、一つは「その嫌な奴は劇には登場しない」、二つ目は「面白い(観客が飽きない)演劇をつくりなさい」ということ。そのためには登場人物に対立構造が必要であるということを教えます。対立構造がないと「あいつは遅刻してくるから、みんなで注意しよう」「そうだね」ということで1分もかからずに演劇が終わってしまいます。さらに面白くするためには、嫌な奴の設定にフィクションを加えた方がいい。ただ「遅刻してくる」ではなく、「毎日終業時間の1分前に出てくる」というような荒唐無稽な設定です。これで10分程度の演劇をつくってもらうわけですが、もちろん応募者のほとんどは演劇未経験者です。でも、みんな何の抵抗もなく演劇づくりを楽しみ始めます。

:そうなんです。関係ないんですよ、演劇経験は。かえって経験がある方が邪魔になったりするくらいです。

:そうですね。で、実際にやってみると面白いぐらいに応募者の素顔が見えてくる。リクルートスーツを着て緊張した応募者を相手にしていては絶対に見えてこない生の顔が見えてくるんです。

:そう、そうです。僕、これは前回も話したかもしれないですけど、ワークショップは実際にやって見せないとなかなか理解してもらえないし、あんまり魔法の選考システムみたいに言うとますます信用してもらえないので(笑い)、自分でもできるだけ控えめに言っているんですが、本当に凄いんです。面白いくらいにその人が見えてくる。特に選考に関しては相当に有効だと僕は思ってます。

:有効ですね、ビックリするくらい。私もあまり言いすぎると信用されなくなるかもしれませんから、これ以上は控えますけど(笑い)。で、見えてくるのは、一つはその世代特有の考え方というか、価値観ですね。今回の試験では10グループぐらいに演劇をつくってもらったんですが、そのうち4つのグループが嫌な奴の設定を「臭い奴」という設定にしました。これはこの世代特有の感覚だと思います。今の若い人たちは匂いに関して私たちとはまったく異なった感覚を持ってるんです。たぶん、他人の匂いがするというのは、自分の空間が他者に侵されているような気になるんでしょうね、きっと。

:それは面白いですね。

:それともう一つは、「コミュニケーション能力とは何か」ということが見えてきたということです。私たちが普段の業務を推進していくなかで、「仕事のできる社員とはどんな社員か?」と問われれば、一も二もなく「プライオリティ決定スキルの優れた社員である」と答えると思います。仕事のプライオリティ=優先順位を的確に見極め、それを元に遅滞なく業務を進めていける社員こそ、仕事のできる社員です。それは何もホワイトカラーだけに求められている能力ではなく、たとえば左官職人でもコックでも同じ能力が求められています。コックであれば、ピラフ、コーヒー、ジュース、パスタと伝票が並んだ場合、まず伝票順にピラフから作り始めるコックは仕事のできない人です。仕事のできる人は、まずパスタを茹で始め、それが茹であがるまでの時間でピラフを作るでしょう。ここまではみな同じです。ところが、日本の場合、「頑固職人の店」がもてはやされるような風潮があって、作り手のプライオリティのみを重視するところがあります。しかし、本当に腕のいいシェフは、自分のプライオリティを決定するのと同時に、客のプライオリティも同時に見極める能力を持っている。相手が静かにワインを楽しみたいのか、美味しいものを食べたいのか、それとも珍しい料理を求めているのかを瞬時に見抜き、それと自分のプライオリティを摺り合わせていくわけです。この能力こそが、コミュニケーションスキルそのものであると言っていいと思います。

:まさにその通りです。今のお話には二つポイントがあると思うんですね。一つは「コミュニケーション能力というのは特殊な能力ではない」ということです。誰でも普通に生活をしていれば、コミュニケーションはしてるはずで、少なくとも全労働人口の8割から9割は普通にコミュニケーションを取ってるはずなんです。逆に言えば普段のコミュニケーションが取れないという人は、これは何かのトラウマがあったりとか、精神的な疾患があったりとか、脳に何かの機能障害があったりするという人であって、そうした方には特別なケアが必要ですが、これはコミュニケーション教育ではないんです。

:そうですね。それは明らかにメディカルケアの範疇であって教育ではない。

:では、どんなときにコミュニケーション不全が起こるかってことですが、それはたとえば時間が限られていたりとか、医療現場のようにパニック状態が起きやすかったりとか、それから権力構造が強かったりする場合に起こるんです。なぜ演劇のワークショップが企業の採用とか研修に威力を発するかというと、そういう状況を擬似的に短時間で非常に便利につくり出せるからです。複雑で強固な権力構造であるとか、専門家と非専門家の邂逅とか、そういった状況をシミュレーションできる。コミュニケーション不全のほとんどのケースはそういった状況に置かれたときに、普段は普通にできてるはずの、相手のコンテクストを理解するとかくみ取るということが急にできなくなってしまって起こるんです。だから、職場のように時間も限られる、権力構造もある、そしてさまざまな想定できない事故が起こりやすいところで、相手ときちんと忍耐強くコンテクストの摺り合わせができるかどうかっていうのが職場で要求されるコミュニケーション能力なんです。家庭で要求されるコミュニケーション能力と職場で要求されるコミュニケーション能力はまったく違うんですね。

:そうですね。ほとんどの学生は採用面接で「僕はコミュニケーション能力には自信があります」って言う。実際、彼らも大学の中のサークルというような、同年代で同じ価値観を持った仲間同士では十全にコミュニケーシュン能力を発揮してるわけです。ところが、企業という異なる価値観を持った集団、世代の異なる相手と対したときにはパニックを起こしてしまってうまくコミュニケーションできない。

:それと、もう一点がプライオリティをつけるということですね。自分に譲れないプライオリティがあるのと同様に、相手にも譲れないプライオリティがある。ところが、子供は相手にもプライオリティがあるってことが理解できないんです。

:それは子供だけじゃなくて、最近の学生たちも理解できていない(笑い)。

:でも、子供のなかにもそれができる子がいるんですね。それから、それを直感的に演劇をつくるなかで瞬く間に吸収していく子もいる。それは普段の成績とまったく関係ないんです。フィンランドの教育で評価されるまとめる能力を持った子っていうのは、要するに自分にもプライオリティがあって、相手にもプライオリティがあるんだってことを何かの瞬間に直感的に理解するんです。そうすると、相手のプライオリティのこれだけを認めてやれば、全部こっちの意見が通るなっていうストラテジーを直感的に理解するんですね。

:50分という短い時間で一本の演劇をつくり上げるためには、プライオリティの決定スキルが不可欠です。まず何を優先的に決めていかなければならないのか。それが判断できないと、とてもそんな短い時間で演劇をつくり上げることはできません。各応募者にプライオリティの決定スキルがあるかどうかが露わに見えてくる。それが演劇ワークショップ選考の凄いところです。まぁ、あまり凄い、凄いと言い続けると、先ほども言ったようにオオカミ少年にされてしまいかねませんから(笑い)、今日はこのくらいにして、次回は演劇ワークショップによる研修の話まで進めたいと思います。

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