OFFICE Santa 対談

平田オリザ×鈴木あきら グローバル人材の育成は、いかにして可能か〜劇作家・演出家の創造力に学ぶ〜

コミュニケーションはパターン化できる

:にもかかわらず、日本企業は「即戦力のグローバル人材」というような、非常に短絡的な効果に目を奪われてしまうので、日本企業の「グローバル人材育成」というかけ声自体が陳腐なものになってしまった。内田樹さんなんか、「グローバル人材なんてことをいうヤツは信用するな」なんて言ってるほどですからね。

:特にグローバルなコミュニケーションスキルになると、多様な問題が絡み合って結論が出てくるので、原因を一つに特定するってことはあり得ない。その曖昧で複雑な問題を解決するまでの道筋に耐えられる体力が必要で、それを鍛えるためには時間がかかります。理解できないことを理解不能のままに断ち切ってしまうのではなく、その原因を丹念に探っていくっていう作業に耐えられるかどうかの問題だと思います。
それと、もう一つ重要なのは、国際理解。ヨーロッパの基本的なルールは相手が嫌がることをしないってことです。これはしょうがないですね。文化や宗教の違う人が地続きで暮らしてるんで、最低限相手が嫌がることをしない。だから、逆に怒らせようと思ったら嫌がることをするわけで、そういうことを時と場合に応じて使い分けるのが外交手腕なんですが、そういうことをマナーとして身につけていくってことですね。それをマナーとして割り切ることが大事で、決してこっちが向こうに同化するわけではない。
たとえばタイでは子供の頭を撫でたりするのは御法度なんですが、だからあなたも触られるのを嫌がりなさいって言ってるわけじゃないですよね。それぐらいのことなら誰だってわかるのに、そこに言葉、言語の問題が入ってくると、日本人は真面目だから、自分の精神まで変えなきゃいけないと思ってしまう。

:ただ、なぜあの国では子供の頭を撫でるのかという根本的な理解を欠いたままにそれをしていると、向こうの人から見たときに非常に陳腐で滑稽な猿まねにしか見えないということになりませんか?

:それは要するにマナーとか文化の問題だから、とりあえずそれを守っておけば、そんなコンフリクトは起きないんだけど、それをわからずにいきなり正面から向き合ってしまうと、お互いに「あいつはおかしい。人間じゃない」みたいな話になってしまう。
要するにコミュニケーションっていうのはパターンなんです。コミュニケーションをパターン化するっていうと非常に批判する人が多いんですけど、実際の私たちのコミュニケーションのほとんどはパターン化してる。要するに「すいません」って日本人が言うとき、心から言ってるように思うけども、実は文化によって言わされてる。
ということは、つまりパターンでもなんでもいいから、それをたくさん覚えてる奴の勝ちなんですよ。それは教育で補えることだし、そのことによってコンフリクトは回避できる。社交やマナーは後天的に身につけられるものであって、それによってすごく多くの問題や衝突が回避できる。それを人格教育と結びつけないってことが大事なんです。

人生、美しく棒に振れ

:そのために必要なのは、異質な他者との出会いを数多く体験することが必要だということですね。

:僕が大阪大学の大学院でやってるような授業は、「高度教養教育」と呼ばれてるのですが、教養課程っていうのが必要な時期が必ず人間にはあるんです。
たとえば大阪大学の理系の大学院生は、僕と出会わない限り一生劇作家と話すなんてことはないはずの人たちです。その人たちが僕と出会う。出会うはずのない人が出会う。それから、他の学部、学科の学生と出会って、濃密な時間を過ごす。それが、教養課程の意味だと思うんですね。
今、大阪大学では理学部とか工学部は8割から9割が大学院に行くんです。ということは、人生の選択はまだその段階でしてない。みんな行くんだから。人生の選択は修士一年目でするんです。

:なるほど。

:しかも、大学院生の半数以上の人間は企業に就職するんです。ということは、そのときに初めてみんな悩むんですよね。その悩んでるときに、非常に特殊な他ジャンルの人と出会う。あるいは同世代の他ジャンルの人と出会うってことは一番大事なことなんじゃないかと思うんですよ。一番教育的な効果があるんです。
僕は、それが教養教育の役割だと思っているんです。だから、僕がよく大阪大学の先生方に言うのは、大学全入時代といって騒ぐけれども、大阪大学にとって問題なのは大学院全入時代なんですよ。大学院全入時代を前提にして問題を考えなきゃいけない。それなのに、いまだに教える側が全員が研究者だということが問題なんです。
昔は、大学院は研究者になるための機関だった。その観念から抜け出せないから、どうやっていい研究者をつくるかしか考えていない。だけど、実際には、大半が大学院から企業に就職するわけです。それなのに、自分たちが研究者だから研究者育成のための教育をするって、これ異常なことなんですよ。だって小中学校の先生が子供たちに、「キミたち全員先生になろう」って言ってるのと同じことですからね。
教育って常に閉鎖的になりがちだから、外からの空気を入れなきゃいけないんだけど、大学院だけは今そうなってない。要するに、今の大学院生に必要なのは、人生を揺さぶるような体験、あるいは人生を棒に振ってしまうような体験なんです。僕はよく学生たちに、「美しく棒に振れ」というふうに言ってるんですけど、そういう体験が必要なんだけど、それが決定的に足りないってことなんですよね。

:とにかく、リベラル・アーツがなくなってしまった現在、異質の他者に出会うことなく企業に入ってきた新入社員たちに、そこでもう一度、異質の他者と出会わせる体験をさせないといけない。
本当にもともとこれは企業がやるべきことではないし、やることは大変なことなんだけれど、でもそれをやらないともう保たないところまできてる。

:ただ、やっぱりライフスタイルが多様化してますし、人生の選択がそんなにピンポイントではなくなってしまっているので、企業でもたとえば管理職になる直前に、そういうものを短期間でもいいから集中的に体験させるようなことが、これからは必要になってくるだろうと思いますね。
今までは出世することだけが企業人の唯一の価値観だったんだけど、おそらく大半の人が30代半ばくらいで、出世を取るか家族を取るかとか、子供のことをどうするのかとか、この転勤辞令を受けるか、受けないかとか、昔に比べるとものすごく悩んでると思うんですね。でも、悩み始めてからじゃ遅いんで、悩む直前くらいに、異質なさまざまな価値観に触れることが必須になってくると思うんですよ。 ご存知だと思いますけど、多くの企業の人事の人たちはそういうとこに、もう気づき始めてますよね。

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