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第2回ゲスト:別役実 3.11震災後の日本と、新たな文化価値の創造

宮沢賢治と復興期の精神

鈴木:で、岩手と宮沢賢治の言語感覚みたいなことで言うと、今回の震災後、賢治を改めて読み返しているというような人がものすごく多くて、ある種のブームになっているところがあります。震災の後に宮沢賢治が、これだけ人口に膾炙(かいしゃ)していくというのは、「雨ニモマケズ風ニモマケズ」というのが、今の震災の後のある心情にぴったりフィットしてくるからだろうと思うんですが、その辺いかがですか。

別役:そうですね。僕ね、かなり早く、3.11起こった2、3日後に、新聞か何かに宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」というのが紹介されていまして、これは我が意を得たりと思ったんですよ。僕も震災を体験した後の我々の心構えとして、宮沢賢治の詩というのは、非常に重要なファクターになるだろうという感じがしたんですね。
ただ、ちょっと注意しなければならないことがあって、それは最近の若い人たちの感覚だと、「雨ニモマケズ」とか「風ニモマケズ」の「マケズ」を負けないというよりは「勝つ」ふうに受け取ってしまうところがある。ですが、その感覚はちょっと違うと思うんですね。我々の世代であれば、「雨ニモマケズ」というのは「雨ニモメゲズ」なんですね。で、「風ニモメゲズ」。「負けず」というと、「負けないぞ!」と胸張って、肩いからして、「勝つぞ!」っていう感じになるんですけれども、そうじゃなくて、「雨ニモメゲズ」っていうのは、幾分かは凹まされるんです。幾分かは凹まされるんだけれども、完全にやられちゃいはしないよという、その辺の感覚が、宮沢賢治独特のものなんですね。これは、ものすごく重要なポイントだという感じがするんです。「雨ニモマケズ」と言うと、何となく胸張って「よし、勝つぞ!」とかって非常に勇ましくなっちゃうんですけど、勇ましくない、必ず凹まされる。へこたれる部分というのを予定しながら、でも完全には参っちゃいないよという意味なんです。そういう身の振り方というのが、今回の大震災にとって、かなり重要だろうという感じがするんですね。その辺の取り違えさえなければ、おそらく宮沢賢治の詩というのは、非常に重要な手がかりになるだろうという感じがします。
それともう1つは、震災を見る場合の大きな文体の作り方なんですけども、僕はやっぱり、まずこれだけの大震災が起こった場合は、嘆き悲しむという部分が非常に重要だろうという感じがします。嘆き悲しむということにおいて、日本人、あるいは東洋人はものすごく才能がある。嘆き悲しむ才能。嘆き悲しむというのは、マイナーなことだけじゃなくて、嘆き悲しむことによって、やっぱり自然の強さとか大きさとか、不条理性みたいなものを体験することができるわけです。嘆き悲しむことが深ければ深いほど強い感じがします。嘆き悲しむことを通じて、そこから立ち上がっていく動機としての「恨み辛み」、その「恨み辛み」というのが復興への動機になっていくのが日本人的なんです。かつては自然にそれができた。東洋人、韓国人も中国人も、まず嘆き悲しむことを猛烈に自分に課していきながら、そこから「恨み辛み」をもって何とか出てくるという知恵があった。その意味で、最も強かったって感じがするんです。欧米にはない強さがそこにはある。ところが、今はそういう感じじゃないですね。文体が違う。「頑張ろう! って言うのはやめましょう」っていう言い方がありますけど、やっぱり嘆き悲しむことの深さをもっと深めましょうとか、そこから「恨み辛み」としてのエネルギーを出しましょうと言った方がいい。そのあたりのニュアンスをちょっと取り違えたまま復興に対処しようとしてる。その辺はやっぱり弱いところかなという感じがしますけど。

鈴木:別役さんは以前、「雨ニモマケズ」という部分も大切なんだけど、それ以上に重要なのは、「ヒデリノナツニハオロオロアルキ」という部分なんだとおっしゃっていました。今はもっとオロオロしてるべきなんだ、そういう嘆き悲しむ深さみたいなものが、真の復興につながるんだということだと思いますけど、その嘆きと哀しみを一足飛びに飛び越して、公的な文体で、いわゆる「創造的復興」というようなスローガンを持ち出してくるのは非常に危険だということですね。
それでもう1つ、別役さんは今、「恨み辛み」は東洋人が得意で、それは西欧人にはない強みだとおっしゃいました。確かに西欧人というのは、今回のような震災に対して「恨み辛み」を抱くというふうにはならないですよね。つまり震災というのは神の意思なわけで、それは我々のもともともってる原罪に対して神が罰を与えてるのだと考えるのがキリスト教圏の人たちの基本ですから、それはやはり「恨み辛み」にはならない。荒ぶる神に対して恨みを抱いたりするなんてとんでもないことです。ところが日本の場合は、神様は一人じゃなくていっぱいいる。しかも、その神様たちは結構ドジだったりするんですね。居眠りもするし、ドジもする。居眠りしてる神様をそのままにしておいたら、今年の豊作なんて望めないわけだから、神様が乗っている御神輿をみんなで担いで、わっせわっせと揺り動かして、「起きろ! 起きろ! 起きてくれぇ!」と大騒ぎをする。いわゆる「霊振り(たまふり)」ですね。で、今回のような震災の場合は、神様の機嫌が悪くてむずかってるんだと。だから、それは鎮めなきゃいけない。今度は「霊鎮め(たましずめ)」です。日本人はそんなふうに神様とご近所づきあいしてるんで、ある時には神様に対しての「恨み辛み」を抱くこともあるだろう。そのあたりの日本人的感覚、それが無常感ということにつながってるのかもしれないですけど、そこら辺の感覚が私たちと西欧人とではずいぶん違う気がします。

別役:そうですね。 

震災が露わにした「近代の終わり」

鈴木:その意味で言うと、宮沢賢治が最終的には目指そうとした「銀河鉄道」みたいな世界、あれは結構キリスト教的な普遍性を求めたんだろうと思うんですけれども、その一方で方言の文体は手放さないぞという、そこら辺の二重性みたいなものが、今回の復興の1つの鍵になっていくのかなという気もするんですけどね。

別役:僕はね、今回の震災を一言で簡単に言ってしまうと、近代は終わったんだということに尽きると思います。近代という考え方そのものが、やっぱりここで終止符を打たれたという感じだと思うんですよ。たとえば、もっと大きな防波堤を造りましょうという発想はもうない。もっと大きな防波堤を造ろうというのが、要するに近代的発想なんですよね。近代の考え方、それがなくなった。そうすると次に何があるのか。それは、まだ手さぐりの状態だとは思うんですけれども、でも、やっぱり近代的工業主義、要するに「もっと高い堤防を造りましょう!」というような形での近代的建設意欲みたいなものは、もう不可能になったということは事実だと思います。じゃあ、次は何を生み出すのかというのは、まだイメージがわかない、どうなっていくのかわからないというところがありますが、それはわりと僕の楽しみでもあるんです。新たな国づくりと言いますか、地域づくりとか生活づくりみたいなものが、恐らく必要になってくるだろうという感じがします。
その時に、経済と文化活動がほぼ同価値になっていくのか、あるいは文化活動がかなり重視されていくのか。文化的にある種の理想を打ち立てていくような作業が必要になってくるんだと思います。その辺のイメージ作りというのが、かなり重要になってくる。特に、今回は大災害と同時に福島原発の問題がありますからね。あれで特に、近代という時代に対する終止符が打たれたという感じを非常に強くしています。その後がどうなっていくのかが非常に難しいところだとは思いますが。
ただ、生活感覚として、10年前まではそうじゃなかったと思うんですけども、今は石油より水のほうが大切という感じが我々のものになっている。石油よりも水のほうが大切という感覚での国づくりといいますか、生活づくりみたいなものが何らかの形で必要になっていくんだろうなという感じはします。

鈴木:私の会社は企業に向けてコミュニケーション研修というのを展開しているわけですけど、そこの現場にいる実際の感覚からいうと、まさに別役さんがおっしゃった「近代が終わった」という感覚を非常にリアルに感じています。
戦後以来ずっと続いてきた高度経済成長が、だんだん低成長期に入り、さらにリーマンショック以降はもう経済は伸びない、これからは低成長時代ではなくて非成長時代に入るだろう。そのことは企業にいる人間であれば、感覚的にわかってることだと思うんですね。だから、国内ではもう伸びないので外に出て行くしかない。それで、社内公用語を英語にするというような形でグローバル化に対応しようとしてるんだけど、それは国内での伸びはもう期待できないだろうということと表裏一体です。
非成長時代を予測するもう1つの要因は、労働人口がどんどん減っているという事実です。団塊の世代が定年を迎え、消費力を持った労働人口が減っていく。そうすると、今、地方経済の疲弊が言われていますが、それ以上に危ないのが東京です。私が中学校を卒業する頃には、まだ集団就職というのがありました。彼らは近代工業社会を支える低賃金労働者という意味での「金の卵」として地方から東京に刈り出されてきたわけです。それから、大学進学率が急激に上昇し、大学に入学するためにたくさんの若者が地方から東京に出てきた。パーセンテージで見ると、進学率の上昇カーブはそれほどではないにしても、なにしろ団塊の世代は母数が巨大ですから、ものすごい数の若者が東京に集結したわけですね。
その人たちが、東京で今、年金生活の時代を迎えるわけです。その後はやがて介護生活が始まる。でも、今の東京で彼らの全てを受け入れる介護施設はない。これからそのような施設を手当てできるかというと、そんなことは完全に不可能です。そうすると集団就職で出てきた人たち、あるいは大学へ行くために出てきてそのまま東京にいる人たちは、とりあえずリタイアしたら元の田舎に帰ってくれというふうに言わないと、多分東京の経済も回らなくなるだろう。
そういう意味で、本当に近代の経済成長モデルみたいなものはもうほぼ限界を迎えている。そうすると、これからは別役さんがおっしゃったような農本主義の地域コミュニティとは違った形の、新しい地域コミュニティみたいものが模索されていくだろう。東京からのリターン組を受け入れて、その介護を地元の若者たちが担っていくことによって雇用を創出するとか、彼らを中心にして新たな地域コミュニティを模索していかなければならなくなる。そんな感覚が何となく出てきたところに今回の震災があったんで、その意味ではものすごくダイレクトに、直裁的な形でそれを考えざるを得ない状況に追い込まれてしまったんだと思います。
だから、それは単に原発に反対か賛成かというようなことではなく、我々が今まで享受してきた電気に頼る生活というものをどうしていくのかとか、新たな地域コミュニティをどのように創造していくのかという、そういう根本的な問題を突きつけられてるんだろうと思うんですね。その意味で、近代の枠組みとはまったく別の文脈で、これからの時代を考えていかなければならないんだと思います。

別役:そうですね。

鈴木:今、経済と震災の話をしましたが、宮沢賢治の生きた時代っていうのも、今の日本の状況とよく似てるんですよ。賢治が生まれる2カ月前ぐらいに三陸地震があったんです。

別役:ああ、そうですか。

鈴木:ええ。マグニチュード8.5で36mの津波で、死者・不明者22,000人という、今回とほぼ同じぐらいの震災があったんですが、その2カ月後に宮沢賢治が生まれてるんです。要するに、現在の東北三県と同じような廃墟のような光景の中で生まれてるんですね。で、生まれて5日後に、秋田と岩手の県境の山の中を震源とする陸羽地震が起きて、これもマグニチュード7点いくつなんです。それだけじゃなく、亡くなる半年前にも三陸沖地震があった。その三陸沖地震のちょっと前には、例の金解禁による世界的大恐慌があって、ウォール街で株が大暴落しているし、その前の年には冷害で農村が全部やられて東北は大変な状況だったんです。そこに、トドメのように地震が襲った。今の日本と非常に共通しているところがあるんですよ。
だから賢治は大地震による大津波の被害時に生まれて、大恐慌による経済不況と大地震の時に生涯を終えた。彼の創作活動を支えてきたことの中に、そういう震災の痕跡みたいなものが大きく影響を及ぼしていると考えると、今、宮沢賢治の言葉がみんなの心に響いてくる理由の一つがよくわかるような気がします。

別役:東北というのは、もう自然災害がすごいですからね。冷害もすごいですし、飢饉とかそういうものも繰り返しあります。ですから、そういう自然災害に対する身のこなし方みたいなものですかね、それはやっぱりもうかなりベテランなんだろうという感じはしますけどね。

鈴木:その中で、いわゆる宮沢賢治が自分の生まれ故郷の方言と地域性みたいなものを手放さずに、それでもなおかつ普遍的な救済みたいなものを考えていた。これが今、我々に可能なのかどうかというところが問われている気がします。

別役:うん、そうですね。

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