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第一回ゲスト:平田オリザ 日本人とコミュニケーションを巡る対話-後編-

劇作家である平田オリザさんが、今面白がって研究をしている「ロボット演劇」。
芸術家が知能ロボット研究の第一人者とタッグを組むことで、新たなコミュニケーションの糸口が見えてきた。
ロボットに演劇をやらせるとはどういうことなのか?
心がなくてもコミュニケーションは成立するのか?
ではなぜ、科学的に心の在り方を解明する装置に演劇が起用されているのか? 
その理由について迫る。

ロボット演劇の目指すもの

鈴木:ということで、(中編までに)なにやら結論めいたところまで来てしまいました。本当は平田さんの現代口語演劇の可能性についてもっと深く突っ込んでお話をしていきたかったんですけれども、そんな時間的余裕もなくなってきてしまったので、ここら辺で最後の質問に入りたいと思います。

 今、平田さんのお話を聞いていてよくわかったんですが、現代口語演劇というのは、演劇をつくる行為を通して、自分たちの立ち位置だとか、自分たちの思考の方法、あるいは行動の原理というようなものを逆に照射して、自分たちが認識していく過程なのではないかと思います。その意味で、平田さんが展開している現代口語演劇というのは、演劇によるフィールドワークというか、演劇をやることによって、人間というのはどのように考えて、どんなふうに動くのか。そのことを広く探っていくという行為なんだろうと理解しています。その延長線上に、平田さんが今、非常に面白がっているロボット演劇というものがあるんだと思うんです。ロボット演劇と言っても、ほとんどの人たちはロボットに演劇をやらせるということの意味がわからないだろうと思います。たぶん違和感しか持たれないと思うんですが、ロボットを使った演劇について、今、平田さんが考えていらっしゃることを教えてくれませんか?

平田:今、僕は大阪大学の大学院にあるコミュニケーションデザイン・センターというところの教授をしているんですが、総長の鷲田清一さんと雑談をしていたときに、「何かやりたいことがありますか?」と言うんで、即座に「ロボットと演劇をつくりたいんです」と言ったんですね。私が阪大に声をかけてもらったときから、それを狙っていたんです。ロボット工学といえば阪大と東大とが圧倒的に強いんですけれども、中でも阪大はほぼ世界一のロボット工学の技術を持っています。それを知っていたんで、ぜひそれをやりたい、と。うちの劇団員には、阪大に行くときに「君たちの半分は失業するよ」と言ったんですけど(笑)。うちの俳優は僕のことを嘘つきだと思ってるんで、だいたい言うことを信じない(笑)。

 阪大には浅田先生と石黒先生という有名な先生がいらっしゃるんですが、石黒先生は皆さんもご存知だと思います。自分そっくりのアンドロイドを作った、完全なマッドサイエンティストです(笑)。そこに行ったんですけど、彼らはもうすでに授業で始めてたんですね、ロボットに演劇をやらせるという実験を。浅田先生がそこの主任なんですけれども、そのシンポジウムのときにも「鴨が葱を背負ってやってきた」と彼が言ってくれて、要するに大歓迎されたわけです。浅田先生は高校時代に演劇部だったらしく、石黒先生は絵描きになろうかと思っていた方で、アートに関心が高く、理解がある。その二人にまず、「私がこのプロジェクトチームに入ることによって、ロボットが今持っている能力以上のものを世間に知らしめることができますけれど、やっていいですか?」と聞いたわけです。要するに、大学関係の方はわかると思いますけれども、学会でそれをやったらダメなんですよね。それはデータ捏造になってしまう。私が言ったのは「ロボットが本来できないことをできるように見せる技術がある」ということなんです。「それでいいですか?」と聞いたら、浅田先生は望むところだと。それをやりたいんだと言うんです。それからもう一つ、自分たちはマジンガーZや鉄腕アトムからロボット研究に入ったんだけれども、今の学生はロボット工学というものが学問として確立されてしまっているので、そこの技術からしか考えなくなってきている。だから、芸術家みたいなメチャクチャな人に入ってもらって、ロボットのもっと先の可能性を示してもらいたいと言うわけです。で、僕が実際に現場に入ると学生たちに、「君たちの作ったロボットって、こんなこともできないの?」と言うわけですよ。そうすると学生たちは一生懸命頑張るわけです。そういう人間としてぜひ入ってもらいたい、と。

 それで、そのプロジェクトに参加して、実際にロボットが参加する演劇を一本つくりました。一昨年のことです。これは阪大の中だけで発表したんですけれども、ロボット2体と人間2人の20分のお芝居。20分というのはそこまでしか充電が持たないんです。最後のシーンはロボット2体だけのシーンで終わるんですけれども、ここで多くの観客が泣いたんです。そのとき僕はスタニスラフスキーに勝ったと思いましたね。なにしろ、ロボットは内面がないんですから。 近代劇というのは、ここ100年間、俳優の内面心理をつくって、たとえば悲しい台詞だったら悲しいという気持ちをつくって、それを吐露するという作劇術を中心としているんですが、僕はそんなことはないだろうと思うんです。それもやって悪いことはないけれども、そういうやり方じゃなくても人々を感動させることはできる。これ、よく考えたら当たり前なんです。私たちは文楽人形によって感動してきたわけですから。だったら、文楽の伝統のある大阪で、これを観光のキラーコンテンツに育てていこうということになって、僕は石黒先生とずっと仕事をしているんです。 私たちが最初から狙っていたのは、ロボットで人を感動させるということです。人は今や博覧会展示でロボットを見て関心はすることはあっても感動はしないだろう。ほお、すごいね、とは言うけれども、感動はしない。でも、私たちはロボットで初めて人を泣かすことができたんですよ。これはやっぱり大きな進歩だろうと思います。

 石黒先生というのは本当に変な人で、まず自分をロボットだと思っている(笑)。ロボットと自分の区別がない。自分は心がないと公言しているんです。彼はですね、すごく怖いんですよ、見た目が(笑)。学生からものすごく怖がられているんですが、僕と話しているときはいつもニコニコしているので、大学院生たちに、「なんで石黒先生とうまくやれるんですか? 僕たちは怖くてたまらないんですけれど……」って不思議がられるんです。石黒先生に言わせると、自分は準教授になるまで人を怒ったことがなかった。でも準教授になって学生を預かるようになって、怒らないとダメな学生がいるということを初めて知った、と。さっき僕が初めて30になって他人のことがわかったと言いましたけれど、彼もそういうタイプなんですね。で、一生懸命怒る練習をした。工学系だから一生懸命サンプルを集めて、どこの筋肉を動かせば一番怖くみえるかということを、徹底して練習した。その結果、あまりにも怖くなりすぎてしまった、と言うんですね(笑)。そういう人なんです。

人間の心の在り処

平田:僕たちが考えているのはですね、要するに心ってどこにあるんだろう? ということなんですね。僕がロボットを使って演劇をつくると、ロボットにも心があるように見えるんです。それはあるように見えるだけで、本当に心があるのかどうかは難しい。でも、僕たちの心というのは人間のコミュニケーションのなかにある、というふうに考えるべきじゃないかと思うんです。 これは誤解を招きやすい説明なんですけど、アメリカに自閉症の動物学者がいるんです。有名な方で本もたくさん出している。この人は重度の自閉症なんですが、言語能力はまったく問題ない。今でいうアスペルガー症候群だと思うんですけれども、IQが180とか200ある。この方は女性なんですけれども、自分が自閉症だとわかった時点でどういうふうに対処したかというと、あらゆるコミュニケーションをパターン化して覚えた。ご承知のように自閉症というのは人の気持ちがわからない。だから、ある人が嬉しいといったときに嬉しいという気持ちがわからない。だけどそのときに、「あ、この人は私がパンケーキを食べたのと同じ感情を持っているんだな」と一対一で全部記憶している。挨拶とかも、こう言われたらこういうことを返せばいいということを一対一で全部記憶している。そうすると日常生活では800とか、そのくらいのパターンを記憶していれば十分に間に合う。たぶん、今の彼女であれば、3分とか5分、10分くらいだったらその人が自閉症だって誰も気が付かないらしい。コンピュータのチューニングテストっていうのがあるんですけど、それも同じで、コンピュータと会話をしていて、今自分の相手をしているのがコンピュータであるということが何分間バレないかということで人工知能の発達の度合いを図るんです。

 誤解を恐れずに言えば、石黒先生や私は、コミュニケーションというのはそれでいいんじゃないかと思ってるわけですね。「心からわかりあう」と私たちはよく言うわけですけど、じゃあ、その心って何? 本当に心からわかりあうことが大事なの? そうじゃなくって、私たちはわかりあえないかもしれないけれども、共有できる部分を見つけて、それを少しでも広げていった方がいいんじゃないか。少なくとも国際関係とか異文化理解においてはそちらの方をコミュニケーションと呼ぶのであって、心からわかりあわなければならないっていうのは島国・村社会の論理なんじゃないかっていうのが、私たちの基本的な考え方なんですね。ロボットを考えるってことは人間の心の在り処ってものを考えることなんです。私たちにとって、人間の心の在り処ってものを考える一つの手だてがロボット演劇なんじゃないかって、今思っています。

鈴木:今、平田さんがおっしゃったことが、まさに我々が実際に企業で演劇ワークショップ研修を行うなかで実感していることです。実際にワークショップをやってみると、演劇をやることによって自分たちが普段どんなふうに人と会話しているのかとか、あるいは人は嬉しいときに笑って、悲しいときに泣くとは限らないとか、こんなときには人に声は掛けるし、こんなときには声を掛けないんだよというようなことが、だんだんわかってくる。わかってくることによって、また自分たちの立ち位置や人との関わり方が変わってくる。つまり、やるたびに自分たちの会社の中における関係やコミュニケーションを見つめ直していくという研修なんですね。平田さんがやっている現代口語演劇というのは、我々はどういう形で人とコミュニケーションを取っているんだろう、さらには人間って何なんだろう? どういう生き物なんだ? ということを永遠に追求し続けていく行為なんだろうと思います。

 本当はこの辺りから、平田さんの現代口語演劇が実は演劇界においてさえ正当な評価をされていない、という話にまで展開していきたかったんですが、残念ながら時間がきてしまいましたので、今日はこの辺で締めくくりたいと思います。

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