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第一回ゲスト:平田オリザ 日本人とコミュニケーションを巡る対話-中編-

日本人は、いま何を誇りとして生きているのか。
欧米からの価値を取り入れ、常にアジアの盟主であるという意識を持ち続けてきた日本人。
だが、平田オリザさんは「日本人のアイデンティティが崩壊しつつある」と警鐘を鳴らす。
中編のライブトークでは、こうした日本人のアイデンティティの話から、とある地方の“地獄絵図”を例に国内で起きている文化的格差に話が展開。
いま、日本人に必要なものとは何か?
前編に引き続き、会場をどっと賑わせた平田節をご堪能あれ。

本物の価値はいつでも外からやってくる

鈴木:さきほど(前編)の受け身話法の話に戻れば、日本語というのは、二人称に重きを置く話法であり、日本人というのは常に相手を気遣っている人たちなんだということが言えると思います。つまり、重要な価値はいつも自分の外にあると考えるのが日本人だということです。

 たとえば、明治維新以来の日本がまさにそうでした。日本にはもともと「文化」なんて考え方は存在していなかった。「文化」は明治維新の混乱期に即席で生み出された概念です。その証拠に、「culture」の日本語訳である「文化」というのは「文明開化」の略語なんですね。「culture」という言葉の意味がわからないから、外国人に「What is culture?」と聞いてみる。すると、ある人は自分の被っている帽子を指さして、「This is our culture.」と言う。別の人は少しダンスのステップを踏んで見せて「This is our culture.」と言う。またある人は、自分の着ている服をつまんで「This is our culture.」と言う。日本人からすれば、何がなにやらわからない。そこで、「cultureというのは、要するに舶来物のことだな」と考えた。だから、それに「文明開化」の略語である「文化」を当てた。つまり、日本人にとって文化というものは、常に外からやってくるものなんですね。だから、「文化住宅」とか「文化鍋」、「文化包丁」なんていうわけのわからない物がある。あれは要するに「西洋住宅」であり、「西洋鍋」であり、「洋包丁」のことなんですよ。

 本物の価値が常に外からやってくると考えている日本人は、キャッチアップしているときには非常に強い。うまいんですね、外の価値を取り込むのが。ところが、1985年のプラザ合意のあたりで、日本のキャッチアップが終わったと思われた瞬間に価値の混乱をきたしてしまった。ゴールが明確に定められているときは非常に強いんだけど、自分でゴールを見つけなさいというのは大の苦手。それが日本人の最大の特徴だと思います。

平田:それは、戦前も似たようなことが起こってきたわけですよね。今もまだ混乱が続いていますが、今回の混乱が戦前と違うのは、今度は中国にGDPも抜かされるというある意味国家的危機なわけで、そのなかでナショナルアイデンティティをどこに求めるのか、若い人たちが個人のアイデンティティをどこに求めるのかということが非常に混乱していると思うんですね。これまではアジアの盟主という意識が潜在的に残っていて、それはたとえば、上海万博をめぐる報道なんかに露骨に現れている。中国人を小馬鹿にしたような報道を見るたびに、本当に情けないなと思うんですけれど、そういう気持ちはいまだにみんなの気持ちのなかにあるということは否定できない。

 非常に面白いのは、僕も多少お手伝いしているプロジェクトで、新幹線とか原発を国が売り込みにいくというものがあります。そのときに、必ず「日本は技術では負けていない」という報道が出るんですね。本当は技術だって負け始めてるんだぞというのがあるんですけど、でも、技術がダメだったら、それに代わって「○○では負けてない」という報道が出ます。そういうのは本当に戦前の状況と似ている。確かに、特定の技術分野では、たとえば零戦でいえば、ある一時期だけ突出して世界一の戦闘機だということは可能なんだけれども、そんなものは本当に半年とか一年ですぐ追いつかれちゃう。あるいは物量で追い抜かれちゃうわけですよね。日本が持っている技術なんてせいぜいそんなもんだと考えた方がいい。確かに新幹線の技術のなかには一番のものがたくさんある。時間通りにダイヤを動かす技術であるとか、改札機の正確な読み取りとか、さまざまな世界一の技術があります。それなのに、なぜオールジャパンで売れないかというと、要するにそれをまとめる能力を持った人がいないんですよ。これは、今まさに演劇ワークショップを活用したコミュニケーション教育でやっていることですけれども、たとえば、フィンランドメソッドに象徴されるようなヨーロッパ初等中等教育に特徴的なのは、バラバラな能力をどう一つにまとめるかという教育が徹底してなされていることなんです。飛び抜けて頭がいい奴とか、突飛なアイデアを出す奴ではなく、バラバラの意見やアイデアをうまくまとめた奴が一番先生に褒められるというのが、フィンランドメソッドの核心部分です。日本の初等中等教育はそういうことをまったくやってこなかった。それだけでなく、企業の社員教育ですらそういう教育をやっていない。だから、一部の技術では負けていないということを、ことさらに言いつのる。その精神風土自体が危機的な状況にあると思うんです。その精神風土は戦前の日本のたどってきた状況に酷似している。それとまったく同じ道筋をたどるとは思わないけれども、最後は負けるが勝ちになるんですよね。見ててご覧なさい、きっとそのうちに「精神だけは負けていない」と言い出しますよ。これが一番危機的な状況なんです。

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