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第一回ゲスト:平田オリザ 日本人とコミュニケーションを巡る対話-中編-

文化の自己決定能力

鈴木:対アジア、対欧米における精神的図式は、まったくその通りだと思います。さらに、その図式のミニ版は国内でも起きていて、私なんかは秋田生まれの地方出身者ですから、東京対地方という対立構造がよく見える。今、秋田産業サポーターズクラブという秋田県知事の諮問会議のようなところに所属しているんですが、そこで出てくる「秋田の産業経済を活性化させるアイデア」というのが、固定化された二つのパターンに限られてしまう。一つは、東京に負けないような複合施設を作ろうというパターン。これはかつての「欧米に追いつき追い越せ」のミニ版ですね。もう一つは、秋田だったら曲げわっぱだろう、秋田杉だろう、いぶりがっこだろうという地域名産品パターンで、これはさっき平田さんのおっしゃった「精神だけは負けていない」につながっていくパターンです。でも、この二つのパターンだけではまったく勝負にならないんですね。

 ところが、今年とても面白いイベントがあったんです。男鹿市や秋田市で活動しているNPOや各種団体、行政、大学などからなる「男鹿半島まるごと博物館協議会」という団体が、内閣府の「地方の元気再生事業」として開催した、『男鹿半島「神の魚ハタハタ・地魚」復活プロジェクト』というイベントなんですが、このなかにイタリアからシェフを招き、男鹿半島名物の魚醤である「しょっつる」を使ったイタリア料理を作るという催しがあったんです。これは面白かった。今まで、こういう発想をする人がいなかったんです。この発想法はさっき言った二つのパターンに当てはまらない。こういう発想をする人間が地元から出てこないと、地域は決して元気にならない。それはオールジャパン対アジア、オールジャパン対欧米の関係でも同じことだと思います。

平田:僕はいつも若い演出家たちに、「演劇というのは貧乏を覚悟しなきゃならないんで、やっていくのは大変なんだけれども、だからこそプライドを持ちなさい」ということを言うんですね。でも、プライドを持つこととプライドを押し付けることは全然別のことです。本当にプライドを持つということは、自分のやっていることに自信を持つということですから、その自信のコアになるもの以外、つまりインターフェイスに関しては柔軟性を持つことが大切だと思っているんです。

 ちょっと話は脇道にそれますが、今僕はたまたま国交省の成長戦略会議の観光部会というところに所属していて、この半年間みっちりと観光の勉強をさせられたんです。皆さんもご存知だと思いますが、北海道に富良野というところがありますよね。ここはもう7~8年間毎年呼ばれて、富良野市内の全部の小学校でコミュニケーション教育をしてきました。北海道はなかなか景気が厳しいんですけれども、その中でもほぼ唯一、富良野とニセコだけは景気がいいんですね。行かれた方はわかると思うんですけれども、観光客の半分以上は外国の方です。韓国、中国、香港、台湾、シンガポール。それからオーストラリアのスキー客。決して『北の国から』だけの観光名所ではないんです。現在はハングル文字が町中あふれている富良野ですけれども、観光地としての歴史は30年しかないんです。要するに『北の国から』の放映が始まった70年代の中盤くらいからですね。それまではまったくの農村だったわけです。今たくさん観光客が来るラベンダー畑はもともとあったんですけれども、それは香水の原料を生産するためであって、観光目的ではないんです。それが、時代とともに全部潰れていくんですが、冨田さんという変わった農家が一面だけ残してたんですね。それが旧国鉄のディスカバー・ジャパンのポスターになって、そこから火がついて素人カメラマンが集まり始めてマニアの話題になり、その翌年くらいから『北の国から』が始まって一気に富良野ブームになったんです。でも、それだけでは2~3年で終わっていたと思います。大河ドラマで人気になった観光地でも1年くらいしか持たないんですが、富良野だけは持続した。もちろん放映が続いたということもあるとは思うんですけれども、特に冨田さんの農園が、ただラベンダー畑を見せるだけではなくて、香水工場を見学させるとか、ラベンダー摘み体験をさせるとか、さまざまなアイデアを出して第一次産業を第三次産業に変換していったわけですよね。その成功体験があるために、富良野はすごく面白い。六郷中学校という全校生徒15人くらいの中学校があるんですけれども、15人しかいないからいっぺんに授業をやるんですよね。授業をやるとですね、見学者が30人くらいくるんですよ。つまり、ご両親が二人とも農作業を休んで見学にくるんですね。彼らは農家なんだけれども、そして子どもたちに農業を継いでもらいたいんだけれども、これからの日本の農業は第三次産業的な感覚、サービス産業的な感覚をもって付加価値をつけていかなければいけないということを成功体験として身につけているので、僕たちがやっているコミュニケーション教育というものにものすごく理解があるわけです。表現力とか、コミュニケーション能力とか、異文化理解能力というようなものは農業にこそ大事なんだということを理解している。実際に富良野ブランドというのはものすごく強くて、富良野メロンとか富良野カボチャとかは、ほかの道内産の1.2倍とか1.3倍とかの価格設定でも売れるんですよ。富良野のブランドイメージを確立して、付加価値をつけて高品質で売っていくというのが僕らの戦略なんですよ。富良野プリンというのは、お取り寄せナンバーワンで700万個ぐらい売れてて、どんどん新製品も出てるんです。

 その富良野の隣に芦別というところがあります。これから芦別の悪口を言いますから、ご出身の方がいたら申し訳ないんですが(笑)、その芦別に連れてってもらって驚きました。
芦別には世界最大の五重塔があります。

客席から笑い声。


平田:それはホテルですね。それから、三十三間堂を模したホテルがあります。それから、回転する聖徳太子というのがありまして……。

客席、爆笑。


平田:もちろん大観音がある。当然ある。大観音から三十三間堂のホテルの間は150メートルのモノレールがつないでいるんですが、それはもう動いていない。その遠くには、第三セクターで破綻したカナダ村がある。冬に連れていってもらったんですが、それが一望できるんです。大観音と、五重塔と、三十三間堂と、カナダ村と、回転する聖徳太子と……。

客席、爆笑。


平田:もうね、地獄絵図のようです。浅草で売っているペナントがあるでしょう。東京タワーと浅草の観音様と国会議事堂が全部いっぺんに写っている。あんな感じです。富良野と芦別は山一つ隔てた隣町なんですよ。富良野にはそんな醜悪な建物は一つもないですよ。これは全部90年代に東京のデベロッパーにだまされて作っちゃったんですね。なんでだまされて作っちゃったかというと、理由は簡単ですね。芦別とか夕張とかは旧産炭地なんで地方債がいくらでも発行できたんです、復興のために。要するに自分のお金じゃなかったんですね。だから使い道を深く考えない。だって大観音を建てたからといって、観光客がくるわけないじゃないですか。そんなことは少し考えればわかることですよ。

 芦別には富良野よりも有利な点はたくさんあったんです。芦別は旧産炭地だから温泉が出ます。たぶん食材とか農業の土壌も富良野と変わらないでしょう。隣町なんですから。それから、僕はスキーをやらないんでよくわからないんですが、富良野やニセコ、トマムなんかはとても雪質がよくて、スキーの腕前が一級や二級上がった感じになるんだそうです。それは芦別でも変わらないはずです。それなのに、だまされて大観音を作っちゃった。要するに自分の地域の文化的資源が何なのかということを自分たちで決定して、それを遂行する能力がなかったということです。それがないと、あっけなく東京資本に収奪されてしまうということなんですよね。それを僕は「文化の自己決定能力」と呼んでいます。まず自分たちで楽しみ、その楽しみをほかの人たちにどういう付加価値をつけて与えていけばよいのかということを自分たちで決定していく。それができないと、地方というのはあっけなく東京に収奪されていくんです。90年代は公共事業をやっていかなければいけなかったから、地方自治体にどんどん地方債を起債させ、無尽蔵に借金させて、それを全部東京のデベロッパーが持っていったわけです。

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