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第一回ゲスト:平田オリザ 日本人とコミュニケーションを巡る対話-前編-

異文化と交わること、理解すること

鈴木:韓国語を習う過程で日本語の特殊性に気づかれたというお話でしたけど、もう一つ、日本人はそんな考え方はしないよ、あるいは、韓国人はそんな考え方をするのか、というような発見はありませんでしたか? たとえば、韓国人が日本語を習うときに非常に不思議がるのが、「受身」の言い方だと言います。つまり、日本語でいう「泥棒に入られた」とか、「先生に教えられた」というような言い方ですね。韓国人は絶対にこんな受身の言い方はしないというんです。「泥棒に入られた」という言い方には「入られた私も悪いんだけど」というニュアンスがありますよね。でも、韓国人は間違ってもそんな考え方はしない。あくまでも「泥棒が入った」のであって、「私が入られた」のではない。だから韓国人が、「女房に逃げられる」ことはあり得ない(笑)。そんな言い方をしたら、韓国では生きていけないと言います。そういう関係性の発見というのは、いかがですか?

対談の模様 平田:韓国とお付き合いするというのは、いまだにそういう発見があります。近い文化だからと油断していると、意外と違うことが多くてびっくりさせられる。たとえば、韓国では食事をするときにお茶碗を持っちゃいけないんですね。お箸でおかずを食べて、お茶碗は置いたままスプーンでご飯を食べ、スープを飲む。そのルールを教えて俳優にやらせると、もちろん難なくこなします。ところが、台詞を言い始めると無意識にお茶碗を持っちゃうんですね。そのときに、私たち日本人がどのように食事をしているかということに、初めて気がつくんだと思うんです。実は、俳優にとっては、そのHOWということこそが大事なんですよ。
たぶん140年前、つまり、文明開化の時代に、それまでは箸と茶碗でメシを食っていた日本人が、ナイフとフォークでメシを食う人間が世界にいるということを目の当たりにして初めてWHATに気がついた。でも、生きていくために身につけなければならないのは、WHATではなくてHOWなんです。でも、日本社会というのは140年間アジアとは切り離された形で、「欧米に追いつけ、追い越せ」としか考えてこなかったために、WHATしか考えてこなかったし、WHATだけを考えていればよかった。でも、本来文化の輸入ということを考えたときには、自分がどのように生きているかということや、どのようにしゃべっているかということ、つまりHOWを考えていかなければならないのに、WHATだけを考えてきた。まさに「赤毛もの」という演劇スタイル、つまり金髪のかつらを被って付け鼻をして演劇をするというのはWHATをマネただけの代物であり、本来のHOWというのを考えてこなかった証しです。HOWというものを考えなくても成長できてきたというところが日本の不幸であり、逆に言えば幸福なのかもしれません。それが韓国と付き合うとはっきりするということがありますね。たとえば、これもよく言われることですけれども、私たちは人の家に上がるときに靴をくるっと回転させて脱いで上がりますね。それを韓国の方は嫌がるらしいですね。そんなに早く帰りたいか、と思うらしいんですよ。私たちはそんなこと思わないじゃないですか。でも、これは靴を脱いで家に上がるという文化を共有しているからこそ起こるコンフリクトなんです。
私の稽古場にきたフランス人の中には、靴をはいたまま上がってきちゃう人もいるんですが、それは最初からケアします。遠い文化ですからね。でも、韓国のような近いところと付き合うことで、その文化や習慣が世界的に普遍的なものなのか、東アジア共通のものなのか、それとも日韓でだけ共通なものなのか、あるいはわが国だけの非常に特殊なものなのかというある種のカテゴライズはしやすくなるし、そういうことを気をつけることになる。それを若いうちに経験してよかったと思いますね。

鈴木:今の土足の話などは、まさに私も企業で講演をしたりセミナーをしたりするときによく例に引く話です。外国の留学生が家に土足で入ってきた場合は、それは日本ではいけないことなんだということを、きちんと説明しますよね。ところが、仮に新入社員がそんなことをしたら、問答無用に殴るかもしれない。それは、「そんなことはわざわざ説明しなくてもわかるだろう」という前提があるからです。でも、現代は同じ日本人でも価値観の違う人は山のようにいる。世代が違えば、もう同じ日本人だとは言えないぐらい価値観が異なってしまっている。だから、「そんなこと、言わなくてもわかるだろう」っていうのはもう通じないんだ、と。

平田:前提はみんな同じはずだと考えていたという意味では、それは僕自身にもある経験です。僕は高校にも行っていなくて、大学もICU(国際基督教大学)という国際的というか、自由な校風のところで勉強して、就職もしなかったものですから、特殊なんですよ。特にうちの父親っていうのが本当に変な人で、人と違わなければダメというふうに育てられたんです。それも、ただ人と違うだけじゃダメで、何が違うんだ、人と違わなければ価値がないじゃないかというふうに育てられてきて、それをそのまま受け入れた生き方をしてきた僕は、そのことが特殊なことだと思わなかったんです。それが特殊な生き方、考え方なんだということ自体に30過ぎまで気がつかなかった。それが30過ぎてやっと、「普通の人は他人と同じであるほうが安心するんだ」ということに気がついた。自分と他人のルールや価値観が違うんだということに気づいて、それでやっと劇作家として成功したんだと思いますね。それまで、本当に他人のことがわからなかった。だから、あんまり特殊な育て方はよくないと思います(笑)。

次号の予告次回は、他者を知らないことで起きている日本国内の問題・地域格差にフォーカス。地方と東京の文化的格差が広がったことで、いま地方で何か起きているのか。平田オリザさんがみた地方の地獄絵図とは? 地方救済の解決策はあるのか?

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